学校概要

  学校及び地域の概要

○ 学校の概況

 太平洋戦争では、郷土沖縄は「国破れて山河もなし」といわれるくらい壊滅的な打撃を受け、人心も虚脱状態にあった。そのような中にあって、郷土の再建は人材の育成にありと考え、学校教育の復興に乗り出した。

 本校は、この気運のもと、1945年(昭和201222日「川崎初等学校」の名称をもって、川崎タコージ原に創立された。校区は、昆布、栄野比、川崎、天願、宇堅の5地域からなり、通学距離の関係から翌年には昆布と宇堅分校が開校された。

 1948年(昭和23)には、校地が手狭になり、栄野比の海軍軍政本部跡に移転し、同年4月1日、学制改革により中学校が併置され、校名も「川崎小中学校」と名称替えした。学校敷地はさらに移転し、1952年(昭和27)4月4日に現在地の川崎クシ原に落ち着いた。その後、分校の廃止や分離独立、学区域の変更などがあり、1962年(昭和37)4月1日にあげな中学校の創立に伴い、中学校が統合され、名実ともに独立の「川崎小学校」となり、現在の発展をみるに至る。

 1995年(平成7)12月には、創立50周年を迎え、盛大な記念式典を挙行し、21世紀への限りない発展の前途を祝した。校舎も最初は、テント、かやぶき校舎から始まった。その後、トタンのコンセット、瓦ぶきの木造校舎へと移り、冷房付の鉄筋コンクリートの現代的な校舎と体育館やプールも設置される等、大きな変遷を経て、平成13年1月には「21世紀を展望したオープンスペース型」の新校舎が完成した。「にこにこ・いきいき・はきはき」を生活信条として「み・ほ・そ(認め・ほめて・育てる)」教育を推進している。また、ALT(アシスタント・ランゲージ・ティーチャー:英語指導助手)やNAT(ネイティブ・アシスタント・ティーチャー:母国語指導助手)等の人材活用、隣接するベクトル小学校との交流学習、JICA(国際協力事業団)との交流会等、国際理解教育及び英語教育の充実にも努めている。さらに「次世代ITを活用した未来型教育研究開発事業指定校」として文部科学省から指定(平成13〜15年度)を受け、ITを活用した新しい授業の創造や平成15年度は「生きる力を育む読書活動推進事業」の地域指定校(平成14〜15年度)として活発な読書活動と取り組みが高く評価され、全国図書館協議会会長賞(優秀賞)を受賞した。

 2005(平成171222日には、全児童・全職員・地域有識者、学校関係者等の参加者のもと、創立60周年記念式典・祝賀会を催した。

 2006(平成181035日は、文部科学省事業の学校第三者評価に関する実践研究が実施された。

 2011(平成234月から屋内運動場(体育館)の改築工事が始まり、2012(平成24)34日  に、多くの来賓・関係者を招き、落成記念式典・祝賀会を行った。

 本校の卒業生は、建学の理念のとおり、戦後の社会復興の担い手として政治や産業教育界などあらゆる分野で活躍し、社会の有為な形成者となっている。


○ 校区の概況

 本校区は、うるま市具志川地区の北西に位置し、昆布、栄野比、川崎の3字で構成されている。昆布は1918年(大正7)、天願村から分離独立して成立した屋取集落である。川崎は安慶名城の城下の村ともいわれ、校歌の歌詞にも「安慶名城址を手のひらに」とうたわれている。 
 このように、本校の東には安慶名城跡があり、南の米軍基地内には「ししやま」があり西北には天願川が流れている。このため、本校周辺には、古代人の歴史的な活躍の場があり、また、夢を育み、ロマンをかきたてる丘があり、さらには、人々の生活をうるおしてきた豊かな水源があるなど、本校は歴史的にも自然的にもよい風水(フンシ)に恵まれた環境下に立地していることがわかる。
 現地域は、全体的に純農村のたたずまいをみせ、緑豊かな牧歌的な雰囲気のなかにあるが、全世帯数に占める平成6年度の農家数の割合は、昆布が72 %、栄野比88%川崎7、0%となっており、生計は農業以外の収入に頼っている。

 本校区は、国道329 号線や県道8号線が走り、交通の便にも恵まれているが、昆布地域は路線のバス停からは遠く離れ、通学には不便をきたし、現在うるま市教育委員会の送迎バス(スクールバス)が運行されている。校区には繁華街がなく、子供たちは落ち着いたよい教育環境のもとで、明るく、素直でのびのびと育っている。地域の教育に対する関心も高く学校教育にも協力的である。